2013年5月26日日曜日

○○人の信仰

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ブログ部企画。テーマオーナーは私です。

日本人の信仰と言うお題にしようと思ったのですが、グローバル化が進む昨今そこまで限定しなくて良いかなと言うことで○○にしました。僕はもちろん日本人について書くんですけど…

今回このテーマを選んだのは以下の2つの理由からです。

1. 今回イスラム教の国であるバングラデシュに赴任する前に日本人の宗教観について自分なりの考えをまとめておきたかった。

2. 先日親族の結婚式に参加したのだが、そこで嫁の弟が結婚したアメリカ人になぜ日本人はキリスト教でも無いのにチャペルで結婚するのか?お前もチャペルでやったのか?など追求された事。

そのアメリカ人はキリスト教では無いらしくこんな結婚式は始めて出たと言ってました。アメリカ人イコールキリスト教徒では無いんだというのはよく考えたら当たり前なんですが新鮮な驚きでした。

で本題の日本人の信仰について。なぜ日本人はお正月には神社に行き、葬式はお寺で行い、お盆にははは墓参りに行って、クリスマスを祝うのか?のついてと言う問について考えようと思います。

ちなみにシンガポールでは旧暦のお正月も、新暦のお正月も、キリストの復活祭も、お釈迦様の誕生日も、イスラムのラマダン明けも、メッカの巡礼も、ヒンズー教の新年も、クリスマスも祭日だそうです。これは単にさまざまな国の人が住んでいて、国としてグローバル化を進めるために行われているのだろうけど、ここまで徹底するとすごいですね。日本でお釈迦様の誕生日知っている人ってほとんどいないんじゃないかな?と思います。

話は戻ってネット等で調べたところ日本の宗教は簡単にいったら日本に昔からあった神道をベースに後につたわった仏教、儒教が色々ミックスされたものだということです。じゃあなぜ海外から入った宗教を拒むのでもなく、古い価値観と新しい価値観で争うでもなく、取り入れるという形で受け入れる事ができたのか?(政権あらそいという形での宗教戦争はいろいろありましたが)

それは日本の神道が神様は一人ではなく、「八百万の神」というようにあらゆるものに神様がいるという考え方だった。おてんとさまといわるように太陽は代表的な神様で、山の神様、海の神様、田んぼの神様とあらゆるものが神様だった。その考えは今でも普通に根付いていて、笑いの神様とかトイレの神様とか日常のありとあらゆる所に神様はいつづけるわけですよね。

という事で神様はいっぱいいるから、そりゃお釈迦様もいるよねーだとか、キリストっていう人もいるよねーというような感じで、他の宗教の神様も、今までの自分の神様を否定する事なく、受け入れる事ができたということだろうと思います。

ところで、神様が一人かどうか?というのはとても大きな問題のように思います。イスラムのように絶対に一人っていう宗教はなんとなく厳しそうだし、一方多神教のヒンズー教はなんとなくおおらかそう(適当なコメントですね)。ちなみにヒンズー教では仏教もヒンズー教の宗派の一つだそうです。

個人的には八百万の神って考え方すごく良いと思います。特定の神様だけにではなく、身の回りにあるあらゆる神様に自分は生かされており、それに感謝しながら生きていかなければいけない。って感じ。

後は海外の文化を受け入れる寛容さの土台となっている。クリスマスとかハロウィーンとか海外の楽しいイベントなんかもあった方がいいですよねー(なんか企業の作戦に乗せられているような気もしますが)。外国の人から見たら理解できないかもしれませんが、楽しい事は多い方が良い!海外の食べ物を積極的に取り入れるというのもそういう風土が影響しているのかもしれませんね。

しかし本来は多様な価値観を受け入れる国のはずだったのに、企業のダイバーシティがすすまないのはなんでなんだろうなーってちょっと思いましたが、それはまた別の機会に・・・








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