2010年6月5日土曜日

リベラルアーツと渋沢栄一

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先日、経営者にはリベラルアーツの習得が重要だと言う話を聞いた。

リベラルアーツとは哲学、歴史、文学等など所謂一般教養などと言われるもの。哲学は時間のテストを潜りぬけてきた最も真理に近いと思われる、原理原則、そして歴史からは時代の変化などマクロ的視点、文学は人の心理などミクロ的な視点が学べると。

良く歴史に学べ、などという事も聞くし、おそらく正しい事だという事は直感的にはわかるのだが、どのようにしてリベラルアーツを習得して行けば良いのかなぁなんて思ってました。

ただひたすら本読めば良いというわけではなさそうだし。

そして今、渋沢栄一が書いた論語の解説本(の現代訳・・・ってしつこいか)を読んでいるのですが、この本に書かれている事がまさにリベラルアーツを習得した経営者の姿ではないかと思うようになりました。

この本は論語で書かれている内容を説明するだけでなく、その内容に対する渋沢自身の経験や、歴史上の出来事を関連付けそれに対して渋沢なりの解釈を加えている。

例えば「賢く正しい人間を登用すれば人民部下も正しくなるが、凡人悪人を登用すれば民は服従しない」(適当)みたいな内容があるとすれば、それに適応する歴史的な事例として、源頼朝が賢人を登用せず北条氏にまかせてついにはほろんだとか、家康が酒井、榊原、井伊、本多、天海、崇伝、藤原セイカ、林羅山など名だたる賢人を登用して300年の太平の礎を気づいたとか、跡部勝資、長坂調閑を重んじて武田氏はほろび、田原紹忍を重用して大友氏は倒れたとか、ドイツのヴィルヘルム一世はビスマルクを用いて栄え、三世カイゼルはこれを退けて滅びた・・・などなど。ほとんど知らん人ばかり。

そして論語と歴史を自分で結びつけた結果「私は使用人を選ぶ時は才子肌の人をとらず、なるべく誠実で情にあつい人を登用した・・・」と自分なりの持論を持ち、それに基づき実際に行動している。これってリベラル・アーツ習得のあるべき姿なのではないのでしょうか。

すごいぞ栄一。

今MBAでいろんな事学んでいるが、玉石混合の様々な理論、そしてその理論に結び付ける事例もおあつらえ向きに用意されている。だから自分で気づいた話では無く、聞いただけの話に終わり、しばらくたつと忘れてしまう。それだけじゃ習得するという最も大切な事ができていないのかもしれませんね。僕だけかもしれませんが。

一方で渋沢栄一など昔のえらい人は真理に近いと思われる理論を学び、それを歴史や文学などの事例と自分で結び付ける事でしっかりと自分なりの考えとして習得し、そしてそれに基づき行動していた。

えらい違いやなぁ・・・

けど何か大きな気づきを得たような気がしました。

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